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1998.10 |
どこかで誰かがこう言った。人類はウェブを得ることで飛躍的に賢くなるだろう。全ては突然に起きる。数千時間に及ぶユーザテスト、心理調査、全ての原則、概念、ガイドライン、そして GUI のデザインに注がれた全てのインスピレーションは、丁重に窓の外に投げ捨てられる。全ては突然に起きる。ページの美しさが全てであり、ユーザビリティは永久に後ろの席へと追いやられる。
それじゃだめだ、君たち。1992年、人類の進化は都会へ向かう突然のヒッチハイクによってもたらされたのではない。我々は変わらない。もっと重要なのは、我々のユーザも変わらないということだ。
GUI 以前の時代、我々は“暗い洞窟のメタファー”とも言われる目に見えないナビゲーションを使っていた。そのためユーザは心の中に複雑なナビゲーション構造についての複雑なメンタルモデルを形成して無理矢理周りの環境に適応していたのだ。このメタファーはテクノロジーの働きから作られたのではなく、テクノロジストのそれから作られていたのである。エンジニアたちはメンタルモデルを形成するための並外れた能力をもって率先してこれを指揮し、洞窟の暗闇でうまくやっていた。
GUI は、伝統的なナビゲーションを排除し、それを目に見えるようにすることで、ユーザを洞窟の苦悩から解放した。ユーザは、メンタルモデルを形成する苦痛を伴わずに、新しいソフトウェアを短期間で学習し、それを効果的に利用することができるようになったのである。
ほとんどの点で、ブラウザによる操作は大きな後退を意味している。70年代に我々が暗い洞窟メタファー上でなんとか体得したやり方ですら、最新のブラウザでは使い物にならない。何かを実行するためにアプリケーションがメニューを用意すること。「戻る」ボタンを押してしまって15分間の作業が台無しになるのを警告すること。そういった小さなことができないのである。
ウェブのアプローチは GUI の空間概念を捨てて、メインフレームの古いナビゲーションモデルに戻ってしまった。そして最早、ユーザが40から50個のスクリーンというメンタルモデルを形成するということは期待できない。今彼らには数千万のスクリーンが押し寄せるのである。
今日のブラウザは膨大なグラフィックを扱うようになった。ただひとつの範囲を除いては:彼らはナビゲーションを再び暗い洞窟に放り込んでしまったのである。人々は今自分がどこにいるのか、行きたいところへはどうすれば行けるのか、そして彼らの旅路が一体何の役に立つのかさえも分からなくなっている。ブラウザには原始的な「戻る」「進む」ナビゲーション以外に何もサイト構造を反映する機能がない。(「ウェブサイトのナビゲーションバー」を参照)
このような悲惨な環境を前に、デザイナーはユーザが触れる形や機能を確実なものにしようと懸命に努力していると思うかもしれない。しかし真実を偽ることはできない。デザイナーは逆に、不可視のボタンやラジオボタンに見えるチェックボックスを作って、見た目の区別がつかない異なる性質をもった世界へジャンプさせようとしているのである。
なぜこんなことが起きてしまったのだろうか? 第一に、今日のデザイナーは効果的なインタラクションについての最も基礎的な原則についてすら教育されていない。彼らは単に前歴や芸術的な才能を買われて雇われているのであり、現実世界のデザインを理解していないのである。第二に、人々は初歩的なユーザテストすらせずに製品を世に送り出している。これも原因は知識の欠如にある。
では、一体どうあるべきなのか? まず、Microsoft に代表される全ての現行ブラウザのメーカは、その所業をもっと整理するべきである。ブラウザはナビゲーションを明確にしなければならない。それが Micorosoft であろうと標準化団体であろうと、電灯を点けるための赤子の一歩をまず踏み出さなければならない。まずは、同ページ内のリンク、同サイト内の別ページへのリンク、他サイトへのリンクを区別するアンカーの表示方法を開発してもらいたい。そしてブラウザメーカまたはプロバイダと HTML エディタのベンダは、標準化されたナビゲーションマップを表示するための機能を提供する。開発システムの側も外観と動作が連動するようにするべきで、それによって教育されていない新しいデザイナーがチェックボックスに見えるラジオボタンなどを作ってしまうことがなくなるのである。
それでもまだ真の問題に対する回避策でしかない。この混乱を解消するための責任はエンジニア養成学校にある。ヒューマンインターフェイスデザインの学位を取得した卒業生たちは、何でもきれいにデザインできると主張するが(調査によって分かっている)、実際のデザインについての経験も才能もないことが多いのである。いい加減なデザイン学校も同様に間違っている。医学生が8年間の医療実習においてたった一度、それも1時間程度だけ栄養学の講義を受けるのと同じで、デザイナーが認知心理学やインタラクションデザインの原則、ユーザビリティについて教わることはほとんどない。
Apple は彼らの15のビルディングのサインに、それぞれ10,000ドルずつを費やした。それらのサインを作成したデザイナーは有名デザイン学校の血統書付きで、空白スペースの絶妙な使い方によって名誉あるデザイン賞を受賞した。審査員は誰も気づかなかったが、同じ学校の生徒たちによれば、彼らはサインの中にビルの名前をわざと入れなかった!(だからそんなに空白スペースがあったのだ。)これらのサインは本当にすばらしい。だが全く役には立たないのだ。
もしこんな調子で調理師学校が運営されていたらどうなるだろうか? 人間工学調理師を育てるために4年間、偉大な先人たちについての歴史書を読ませ、誰かが料理に新しい材料を入れるのを待ちながら砂漠やジャングルを歩き回るように指導する。一方、未来のグラフィック菓子パン職人を目指し、芸術的な基準で選んだ小麦粉、塩、絵の具、そしてパリから取り寄せた石膏などの材料を使って壮大なデザートを作り上げる。あまり美味しそうじゃないな(食べたわけではないので一概には言えないが)。だが見た目はすてきだろう。
人間工学学部もデザイン学部も、調理師学校から学ぶ必要がある。調理師学校は象牙の塔を離れて人々が集まるホテルやレストランに店を構え、生徒たちに現実世界の経験をさせるべきだ。デザイナーになろうという者は、現実の人々のために現実の製品をデザインするという経験を積まなければいけない。ウェブは人間工学学部にとって、キャンパスから出る必要がない分都合のよい教材だ。世界の優秀なウェブサイトが生徒の才能を伸ばし、育ててくれるだろう。
デザイン学部はコミュニケーションの重要性とその実現方法を教え始める必要がある。将来のユーザビリティテストのために、彼らは“テストすること”─ 被験者の評価 ─ の方法論を変える必要がある。
教育機関にとって、そういった新しい教え方を進めるのは難しいことである。結果的に、教授たちがそういったことを教えないのは、彼ら自身がそれを教わっていないからだ。幸運にも、このことに対する答えはシンプルだ:二つの学部が共同作業をすればよい。デザイン学部の学生はデザインばかりしている。これによって美しいグラフィックを体得する。人間工学学部の学生はテストばかりしている。これによってデザインAが7%だけデザインBよりも劣っていると判断できるようになる。これら二つの修練を組み合わせれば、まさに必要とされる人材が生まれるのである。
人間工学学部を卒業するインタラクションデザイナーは優秀なグラフィックデザイナーである必要なはい。しかし最低限のグラフィックデザインに関する基礎を理解した優秀なインタラクションデザイナーであるべきなのだ。グラフィックデザイナーはそのままグラフィックデザインに熟達すればよい。しかしアイデアを交換する術を身につけ、ユーザビリティテストの方法と評価法を知っていなければならない。気楽なやり方と正式なやり方の両方で。
私立の教育機関は、グラフィックデザインの学生と人間工学の学生のインターンシッププログラムを拡張する必要がある。より多くの学生が助手として働く機会を与えられるべきであり、このプログラムではそれなりの賃金が支払われるようにすべきだ。人間工学の学生はもっとデザインをする時間をとるようにし、グラフィックデザイナーはユーザビリティ研究室の厳しい理論にさらされるべきなのである。
もしこれを読んでいるあなたがこの8月にその手の学校を卒業したのだとしたら、このアーティクルは読み飛ばしてくれ。あなたの学校は真剣に検討すべきなのである。きっといくつかの学校では生徒たちが現実世界に適応できるようにうまくやっているのだろう。そして何人かの生徒は、教科に関係なく自分たちでその準備をしているに違いない。しかしその他の多くは、彼らが支払った授業料に見合うだけの教育を受けてはいない。もう変わる時なのだ。ウェブの憂鬱は、モーニングコールのようなものである。そしてそれによく耳を傾けるのだ。
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